2012年06月02日
評伝 若泉敬 ―愛国の密使
森田吉彦
文春新書791
沖縄返還交渉で佐藤総理の私的な密使として交渉の土台を確定させた若泉敬の思想を読み解いていこうというもの
雑誌「諸君!」に連載されていたものをまとめたものらしい
若泉は沖縄ではRBCが番組を制作しただけでなく、政治に関わる人には知られた存在で、革新と呼ばれている方たちからも「人気」という薄っぺらいものではなく、「信頼」が厚い。理由は簡単、真に「誠実」だからだ
直に若泉に接したことがある人は限られていて、若泉の著書『他策ナカリシヲ~』を呼んだという方がほとんど。その内容は「核の密約」に至るもので、広大な弾薬庫や原潜の寄港地を抱える沖縄も不利益をこうむりかねないものだが、それを明かした誠実さや、その後の行動が沖縄人の琴線に響くのだろう
さて、本書だが・・・買ってしまって後悔。まず「知識人向け」。外交史、思想史、そしてそこにある「魂」みたいな・・・。率直に言って高尚に過ぎる
そして、若泉のその「魂」のような部分に文が近づけば近づくほど、申し訳ないが「上滑り」を感じてしまう
この「上滑り感は何だろう・・・」。モヤモヤしながらも、自衛隊特番制作もようやく終了し、久しぶりに買った本なので、最後まで読み進めていくと、了解できた
「現状への基本認識」が決定的に違うのだ
筆者は73年生まれ。まだ若いが京都大学出の秀才らしく、知識は豊富(重厚感を出すためか、少々古臭い表現が目立つが・・・)なのは文を読めば分かる
しかし・・・あとがきの中で、自らを「戦後を生きた世代と戦後を知らない世代への架け橋」たらんとしているが、この現状認識の差が「上滑り」を感じる要因だと思う
沖縄は、まだどっぷりと、特に外交(対米関係)において「戦後」の只中だからなぁ・・・。日本の司法権は米軍に及ばないって知ってるのかな?
こんな優秀な人は、是非、もう一度沖縄に来て、認識を改めていただきたい
筆者は「研究と実践の不可分を貫き通した(若泉の)その血の滲むような苦心の日々はもはやは昔話にすぎないのであろうか。それとも彼(若泉)が指し示す戦後日本外交の大きな流れは、現在にも引き継がれているのだろうか。」と自ら問い、行を改めて「両方とも『然り』であるように思われる」としている(P278-9)が、果たしてそうだろうか?
それならば、若泉はあれほどまでに重く苦しい晩年をすごす必要は無かったのではないか?今や「保守」を自認する者がアメリカの利益代表と並んで座り、米軍基地の件で沖縄県民と対峙する時代だ・・・言論と行動、看板と内実の乖離がここまで進んでいるのに、だ
(なお、筆者は続く言葉で「アメリカとの関係は宿命ではなく、不可欠の選択となった」としているが、そもそも「選択」する意志、権能はあるのか?)
筆者は喜屋武真栄の言葉を引用したりしているが、「祖国復帰」「異民族支配からの脱却」を掲げていた沖縄県民が、なぜこんなにもシラけてしまっているのかを理解できていないかもしれない(そして多くの本土「知識人」たちは自らの主観に囚われ、多くの沖縄県民が親米であることを知らない。その点アメリカの情報分析は客観的で言葉を失うほどドキッとする)
戦勝国にして超大国とのアメリカとの交渉にあたった若泉のみならず、佐藤、そして「旗は民族の象徴である」と絶対権力者の高等弁務官を相手に日の丸掲揚運動から復帰の道を拓いた屋良朝苗、各人ともども草葉の陰からさぞかしお嘆きだと思うが・・・40年経って、まさか対米交渉力が後退しているとは思いもしなかっただろう
筆者は73年生まれ。まだ若いが京都大学出の秀才らしく、知識は豊富(重厚感を出すためか、少々古臭い表現が目立つが・・・)なのは文を読めば分かる
しかし・・・あとがきの中で、自らを「戦後を生きた世代と戦後を知らない世代への架け橋」たらんとしているが、この現状認識の差が「上滑り」を感じる要因だと思う
沖縄は、まだどっぷりと、特に外交(対米関係)において「戦後」の只中だからなぁ・・・。日本の司法権は米軍に及ばないって知ってるのかな?
こんな優秀な人は、是非、もう一度沖縄に来て、認識を改めていただきたい
筆者は「研究と実践の不可分を貫き通した(若泉の)その血の滲むような苦心の日々はもはやは昔話にすぎないのであろうか。それとも彼(若泉)が指し示す戦後日本外交の大きな流れは、現在にも引き継がれているのだろうか。」と自ら問い、行を改めて「両方とも『然り』であるように思われる」としている(P278-9)が、果たしてそうだろうか?
それならば、若泉はあれほどまでに重く苦しい晩年をすごす必要は無かったのではないか?今や「保守」を自認する者がアメリカの利益代表と並んで座り、米軍基地の件で沖縄県民と対峙する時代だ・・・言論と行動、看板と内実の乖離がここまで進んでいるのに、だ
(なお、筆者は続く言葉で「アメリカとの関係は宿命ではなく、不可欠の選択となった」としているが、そもそも「選択」する意志、権能はあるのか?)
筆者は喜屋武真栄の言葉を引用したりしているが、「祖国復帰」「異民族支配からの脱却」を掲げていた沖縄県民が、なぜこんなにもシラけてしまっているのかを理解できていないかもしれない(そして多くの本土「知識人」たちは自らの主観に囚われ、多くの沖縄県民が親米であることを知らない。その点アメリカの情報分析は客観的で言葉を失うほどドキッとする)
戦勝国にして超大国とのアメリカとの交渉にあたった若泉のみならず、佐藤、そして「旗は民族の象徴である」と絶対権力者の高等弁務官を相手に日の丸掲揚運動から復帰の道を拓いた屋良朝苗、各人ともども草葉の陰からさぞかしお嘆きだと思うが・・・40年経って、まさか対米交渉力が後退しているとは思いもしなかっただろう
Posted by 比嘉俊次 at 21:34│Comments(0)
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