2011年06月14日
冷血(IN COLD BLOOD)
(2006年佐々田雅子・訳による新潮文庫)
カンザスで信仰心厚い篤農家の一家4人を惨殺したペリー・スミスとリチャード・ヒコック(ディック)の犯行から処刑までを綿密な取材に基づいて小説化したもの・・・ということで特に興味はなかった。「犯罪もの小説」だと思っていたから。あまりそんな小説には興味はない
しかし、読んでみると「犯罪もの」では言い尽くせない奥行と広がりがある。殺人がストーリーの縦糸になっているが、それは本当に話を進めるためにあるような感じ。
例えば捜査官のデューイは優秀な人物として紹介されているが、彼は全く見当違いのスジを追っていて「犯罪もの」のハイライトである犯人の目星がつくのはデューイのち密な調査や冴えた推理ではなく、ディックの元同房者によるチクリであることが特段の演出なく書き出されている。裁判も手に汗握る法廷劇はなく、死刑が宣告され、刑務所に入り死刑執行までの5年間も「罪への後悔」や「死への恐怖」など小説家としていくらでも筆が進みそうなものだが、逮捕から刑の執行までは全体の4分の1ページも割いていない
描かれているのは犯罪ではない。アメリカの聖書の世界に生きる人々の善意と赦し(それは罪を犯したペリーとディックにも分け隔てなく与えられる)、罪を犯した2人の虚栄心や猜疑心、そして宗教と法、持てるものと持たざる者・・・つまり人間と人間社会を描いている。そしてそれを取り巻く、どうしょうもない不条理も
あまりに多くのものを描いているため、文章は簡明だが構成がいくつか分かりにくいところもある。ここも含めて全体の印象としては『カラマーゾフの兄弟』を思い出した。あれもドストエフスキーが「全能の作者」として自在な章建て(ありがちな3人称の前半。急に聞き取り形式となるゾシマ長老の告白、社会派になる法廷劇、「カラマーゾフ万歳!」とやけに感傷的な終章)と、伏線とならないエピソード、特段の解説もない不条理(ゾシマ長老からの腐臭)などなど。しかし全体として、ちゃんと「何かある」。
人間は単純ではないし、そんな人間が作った社会は矛盾だらけ。「冷血」も「カラマーゾフ~」も人間とその社会を描ききったと言える作品だと思うが、それだけに読んだ後「人間って○○だよね」とは一言では言い表せない。読みながらため息が出たり(ペリーの生い立ちとディックの呆れる軽さ)、あまりの崇高さに戸惑ったり(保安官代理・ウェンドルの妻とドン・カリヴァンの犯罪者への愛と赦し。小説ならこの2人の善意は奇跡か絶望への伏線となるはずだが・・・)、呆れ笑いが出たり(グリーン検事補佐の聖書を使った法廷での小芝居)、いろいろ考えて行きつ戻りつで読むのにやたら時間もかかる(冷血は600ページほどだが、行きつ戻りつで20時間ほどかかった)。デコボコとした感想というか、人間が複雑だから当たり前か
例えば善良を絵にかいたような4人を殺したペリーについても「要するにどんな顔」とは書かずに、彼のルックスの悪さと同時に彼が持つ独特の魅力や雰囲気ついても触れており、マンガや「面白い」小説のように明確に「キャラ」が立っているわけじゃない。感傷的である面ではやたら几帳面に道徳心を重んじるペリーによる殺人。軽薄と思われたディックが最後に見せる落ち着きなどについての特段の説明もない。不親切というわけじゃなく、少し考えればわかることだが、人間ってだれしもそんなに単純ではない
こうした事が許されるのも、それが「事実に基づいている」ことが大きいと思う。これが作者の捜索による犯罪小説なら伏線が不明瞭でオチもないB級の作品となるだろう。もちろん事実を事実として単純に羅列された「報告書」を600ページも読めない。読ませる小説に仕立てているのは紛れもない作者の力量。
しかも感傷的な文ではないのに(ここがカラマーゾフとは決定的に違う)、読む者に様々な感情を想起させる。ティファニーでもあった、あの乾いてはいないけど、どこかドライな文はカポーティの特異なパーソナリティから来ているのか。なぜ、この事件を取り上げようと思ったのか
やっぱり耳目を驚かす事件を牽引力に人間とその社会を浮き彫りにしたかったんだろうな。そうじゃなければ事件の展開とは直接の関係のない登場人物が多すぎる(主にバスで読むので人物表も作れないから「誰だっけ?」でページを戻るのも多すぎる。ようやく途中でそれは伏線でも呼応でもなく、特に重要でない事に気付いたが)
久しぶりにすごい小説を読んだ
またアメリカの内陸部の社会と人を客観的に知るにもいいと思う
MEMO
「おっつかっつ」。訳者のあとがきで「1959年の事件に端を発するので、あえて古い表現を残した(いい判断だと思う)」としているが、「おっつかっつ」はかなり久々に・・・死語の仲間入り寸前か
人間は単純ではないし、そんな人間が作った社会は矛盾だらけ。「冷血」も「カラマーゾフ~」も人間とその社会を描ききったと言える作品だと思うが、それだけに読んだ後「人間って○○だよね」とは一言では言い表せない。読みながらため息が出たり(ペリーの生い立ちとディックの呆れる軽さ)、あまりの崇高さに戸惑ったり(保安官代理・ウェンドルの妻とドン・カリヴァンの犯罪者への愛と赦し。小説ならこの2人の善意は奇跡か絶望への伏線となるはずだが・・・)、呆れ笑いが出たり(グリーン検事補佐の聖書を使った法廷での小芝居)、いろいろ考えて行きつ戻りつで読むのにやたら時間もかかる(冷血は600ページほどだが、行きつ戻りつで20時間ほどかかった)。デコボコとした感想というか、人間が複雑だから当たり前か
例えば善良を絵にかいたような4人を殺したペリーについても「要するにどんな顔」とは書かずに、彼のルックスの悪さと同時に彼が持つ独特の魅力や雰囲気ついても触れており、マンガや「面白い」小説のように明確に「キャラ」が立っているわけじゃない。感傷的である面ではやたら几帳面に道徳心を重んじるペリーによる殺人。軽薄と思われたディックが最後に見せる落ち着きなどについての特段の説明もない。不親切というわけじゃなく、少し考えればわかることだが、人間ってだれしもそんなに単純ではない
こうした事が許されるのも、それが「事実に基づいている」ことが大きいと思う。これが作者の捜索による犯罪小説なら伏線が不明瞭でオチもないB級の作品となるだろう。もちろん事実を事実として単純に羅列された「報告書」を600ページも読めない。読ませる小説に仕立てているのは紛れもない作者の力量。
しかも感傷的な文ではないのに(ここがカラマーゾフとは決定的に違う)、読む者に様々な感情を想起させる。ティファニーでもあった、あの乾いてはいないけど、どこかドライな文はカポーティの特異なパーソナリティから来ているのか。なぜ、この事件を取り上げようと思ったのか
やっぱり耳目を驚かす事件を牽引力に人間とその社会を浮き彫りにしたかったんだろうな。そうじゃなければ事件の展開とは直接の関係のない登場人物が多すぎる(主にバスで読むので人物表も作れないから「誰だっけ?」でページを戻るのも多すぎる。ようやく途中でそれは伏線でも呼応でもなく、特に重要でない事に気付いたが)
久しぶりにすごい小説を読んだ
またアメリカの内陸部の社会と人を客観的に知るにもいいと思う
MEMO
「おっつかっつ」。訳者のあとがきで「1959年の事件に端を発するので、あえて古い表現を残した(いい判断だと思う)」としているが、「おっつかっつ」はかなり久々に・・・死語の仲間入り寸前か
Posted by 比嘉俊次 at 19:27│Comments(1)
│小説
この記事へのコメント
こんばんは。はじめまして。
いつも楽しみに拝読しています。
カポーティは「夜の樹」という短編集を読んで以来、
とても好きな作家の1人なので、思わずコメントを書き込んでいます。
「冷血」は、瀧口直太郎訳で読んだので、翻訳者が違いますね…。(古い方の新潮文庫です)
小説中盤あたりに、
“ とくに、狂っているのが自分自身の欠点ではなく、「おそらくは生まれ出たときから背負わされているもの」 ”
という、おもにペリーのことを指している文章のくだりがあるんですが、
読みながら、グサリときました。
このあまりのどうしようもなさは、なんだろうと思いました。
ペリーたちを取り巻くアメリカの田舎にありがちな保守的な社会の問題なのか、または個人の問題なのか…と。
でも、カポーティは繊細なんだけど感傷にひたりきれない(ひらりきらない)感じの文章がいいです。
ちなみに、私は「冷血」を読んだ時に、同じドストエフスキーの「白痴」を思い出しました。
(全体の構成は全く異なりますけど^-^;)
いつも楽しみに拝読しています。
カポーティは「夜の樹」という短編集を読んで以来、
とても好きな作家の1人なので、思わずコメントを書き込んでいます。
「冷血」は、瀧口直太郎訳で読んだので、翻訳者が違いますね…。(古い方の新潮文庫です)
小説中盤あたりに、
“ とくに、狂っているのが自分自身の欠点ではなく、「おそらくは生まれ出たときから背負わされているもの」 ”
という、おもにペリーのことを指している文章のくだりがあるんですが、
読みながら、グサリときました。
このあまりのどうしようもなさは、なんだろうと思いました。
ペリーたちを取り巻くアメリカの田舎にありがちな保守的な社会の問題なのか、または個人の問題なのか…と。
でも、カポーティは繊細なんだけど感傷にひたりきれない(ひらりきらない)感じの文章がいいです。
ちなみに、私は「冷血」を読んだ時に、同じドストエフスキーの「白痴」を思い出しました。
(全体の構成は全く異なりますけど^-^;)
Posted by higurashi at 2011年06月17日 02:17