2013年05月05日
日本史集中講義

井沢元彦
帯に「井沢史観」とあるが、西洋史などを読んでいるとむしろ当たり前の見方に思える
「歴史」とは「社会史」。筆者が主張するように年号と出来事を覚えるだけでの暗記では面白くない。だからと言って英雄伝では読み物で終わる
点が単なる結節点なのか、変節点なのか、断絶なのか・・・社会は人間が偶然に、あるいは過去から学び発明するもの
しかし「言霊」というのは面白い。琉球でもオギヤカが「祟り」を持ち出している。クーデターで王権をとったのだから、そのあたりは周到な「人事」で対応しそうなものなのに
また、第二尚氏への王統の遷移も「禅譲」ということになっている。もちろん、中国向きにはそんな話は信じてもらえないと分かっていたのか、親子関係と報告したようだ
「言霊」「国譲り」・・・これは日本語系統を使うものたちの共通の文化特性なのか、それとも文化の熟度の問題なのか(琉球の国譲りは1470年)、あるいは島国に見られる文化だったりするのか・・・
日本ではなぜか古代の研究が進んでいないように思える。チブサン古墳などの解明が進めば、農耕により人が土地に縛られる前のダイナミックな人の流れが見えてくると思うのだが
Posted by 比嘉俊次 at 11:07│Comments(0)
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