2012年09月27日
孫文

舛添要一 角川書店
舛添さんが「孫文」とは全く知らず、意外
最初に現政権(民主党)にチクリとしているが、後は孫文と日本をめぐるエピソードがつづられている(このサブタイトルは内容に対して小さすぎてもったいない・・・)
時系列に並んでいるわけではないので、系統だっているわけでないのも筆者らしくなく意外。逆に「(日中がぎくしゃくしている)今だからこそ」という熱意が伝わってくる?
梅屋庄吉、頭山満、犬養毅といった孫文を支援した日本人を紹介しているが、やはりここでもウチナーンチュは出てこない・・・シルークルー論争も収束し、東京の様子をうかがうことで精いっぱいだったのか?
結局、日本政府も孫文らに対して「仁道(夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已)」を発揮することなく、孫文の予見通り中国はアメリカを引き込み日本は敗戦を迎え、多くを失う
ロシアに勝利した日本の力を評価し、アジアの同胞として常に日本に助力を求めながら大アジア主義は理解されず、「20年来日本外交に辛酸をなめたが・・・」というまま孫文は逝く
当然、当時の日本には日本の国益と事情があったわけだが「日本の外交官はまだそんなことを言っているのか。まだ真意がわからないのか」という孫文の言葉は重い。問題があるのは情報の収集というよりも、分析か。これは沖縄で今も続いている。簡単な色分けで植えつけられた先入観から離れられていない
そんな関係(歴史)がある中国とどう付き合うか―まず、日本はその歴史を振り返るべきという筆者の考えは理解できる。清朝の没落(アヘン戦争1840年~)から中華人民共和国の成立(1949年)まで、中国は100年余りの動乱がある(1976年の文革終了まで含めると130年あまり!)。その間、日本史は主に「維新」や「アメリカ戦」に耳目が割かれ、犬養の死が意味するところにすらほとんどページは割かれない
筆者は「迂遠なようだが、中国古典(漢籍)を今一度学ぶべき。文化の素養がなければ交流は痩せる」と主張する。確かに。でも日本は中世は言うに及ばず、現代も「国語」として孔子を学ぶという中国の文化に別格の扱いを与えているが、中国人はアニメ以外の日本文化をほとんど知らないのではないか?相手にもこちらの事を学んでもらわないと会話は成立しまい。その上で巷に言われているように「冷静に話す」ではなく「熱く語る」でないと、溝は埋まらないのではないか
でもなあ・・・教養よりも資格という時代。「一日3分で~」「10のルールを覚えるだけで~」という本がどんどん増えてきて、本屋で四書五経などど置いてるか?中国で日本文化を強化として教えるか?・・・残念ながら道は遠い
面白いのは、
先に読んだ『社会類型論』にあるように、孫文は「中国には共和制がある(ただし宗族や村内などの小さな単位内で)」と分析しているところ
あと「先知先覚者、後知後覚者、不知不覚者」というのは六諭衍義の「各安生理」だな
広州の中山記念堂が文革を乗り越えてきれいに大切に保護されていることを不思議に思ったが、これも周恩来か・・・苦しい位置に居ながら難しいかじ取りをこなし、道をつけた本当の偉人。結局は助勢できなかった孫文を持ち出すより、周恩来の再評価の方が穏便に話が進みそうな気もする
あと「先知先覚者、後知後覚者、不知不覚者」というのは六諭衍義の「各安生理」だな
広州の中山記念堂が文革を乗り越えてきれいに大切に保護されていることを不思議に思ったが、これも周恩来か・・・苦しい位置に居ながら難しいかじ取りをこなし、道をつけた本当の偉人。結局は助勢できなかった孫文を持ち出すより、周恩来の再評価の方が穏便に話が進みそうな気もする
Posted by 比嘉俊次 at 23:30│Comments(0)
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