2012年07月22日

激動八年 屋良朝苗回想録

激動八年 屋良朝苗回想録激動八年 
屋良朝苗回想録

屋良朝苗著 沖縄タイムスより出版

《履歴》
屋良が知事職から離れた3ヵ月後(1976年9月)より沖縄タイムスに140回にわたって連載された回想録をまとめたもの
 
10年後の85年にこの本になっている。本にするにあたり、追加の資料がいくつか添付されているが、文章の内容的な変更はほとんどないと見られる。第一刷を首里の古本屋で発見し3000円で購入・・・
これは今となっては1級の資料。屋良が知事を降りて3ヵ月後、自身のメモや日記に基づいて書かれているので正確であり、実に率直に書かれた部分もある

今となっては、ましてや復帰前の沖縄社会を知らないものには読むのに骨が折れる。一つ一つの事象の背景が良く見えないし、何より現代とはまったく違う「占領下」という社会構造の「常識」が違う。「なんでアメリカ軍がこんなことに口出しできるんだ?」ということに驚かされる。「民政府」を始め、三権はいずれも名ばかりだ。これならたしかに「自治は神話」といえる

秘書役を長年務めた石川さんから「日本人としての教育を受けさせるために日の丸も教科書を本土から輸入したのは教職員会。当然、そんなことをしたらアメリカ軍に目をつけられるので誰もやらない。だから自分達で会社まで作った」という逸話の根源を確かめたくてなんとか読み通す

「革新」の代表格でもある屋良。アメリカ占領下の沖縄においては、その言葉の額面通りに「革新陣営」はまさに体制の変革(→占領下からの脱却)を求めていた
一方の保守・自民党はアンンガー高等弁務官が持ち出した「芋と裸足」を引用して「復帰は時期尚早」と唱えるなど、本土「保守」とのねじれがあった(ある意味ねじれていないともいえるが・・・)
それが「復帰」が見えてくると、県内の政治状況も「系列化」が進み、革新は当初の運動の理念から離れ日の丸反対、ついには復帰の内容に納得できないとして復帰反対を唱えるまでになる・・・
この間の「変遷」は非常に興味深い。一見自律的に見える運動も、今振り返るとやはり外的な力によって動かされてきたのは否めまい

そして師範学校卒の教師でありながら、革新のミコシに乗る形で主席、知事となった屋良はどうだったのか?乗っていたミコシがいつの間にか変節し、行政方針どころか理念すら共有できなくなっている部分がある。この本を読んでいても、屋良は「与党対策」によっぽど苦労したことを隠していない(野党は野党で野党的言動に終始)。

西銘順治は屋良を指して「決められない政治家」と評したと聞いたことがある。確かに重要施策を次々と決めていった西銘と比べ、CTSなど主要なテーマでどっちつかずな態度を見せたが、こと「復帰」ということに関しては身内である与党からの難題にも匙を投げることなく(途中、立ち行かなくなり自ら辞職を持ち出しているが与党が拒否。結局、3選出馬は固辞したが)「復帰」にたどり着いてる
戦前からの教職者である屋良は保守とか革新などという表面的な看板で見るのではなく、一言で言うなら「民族派」という言葉が一番近いだろう

屋良自身が政治における「革新」という言葉をどのように理解していたかはあいまい(あれだけ与党に突き上げられても「革新」への愛着は失っていないようだ)だが、明らかに「革新政党」とは一線を画する部分もある。
最も象徴的なのが自衛隊について「自衛隊は米軍の機能を肩代わりするものではない。日本本土を防衛するいうなれば平和部隊だ。したがって米軍のように大きな基地は必要ない。沖縄の人にはカーキー色の服を着た軍人、もしくは軍人にまぎらわしいイメージへのセンチメンタルな反発がある。自衛隊は昔の軍隊と違って災害救助や国土建設の役割を持つ。(145P)」とある。また別のページには「自衛隊の国体参加にも、革新側からあまりに拒否反応が強い。私はそれを是とするものではないが、その動きは無視できない(P216)」とある

沖縄において「革新」のシンボルといえる屋良。しかし沖縄の保守の政治家の尊敬も厚く、没時には初の「県民葬」が行われた
やはり、屋良の表層の言動や政治的な動きはともかく、その基底にある理念(社会の健全性、教育と福祉の充実)がまっとうだったからだろう
屋良は米軍占領下を「異民族支配」「不健全」と定義し「不健全なものからは不健全なものしか生まれない」として日本への復帰を目指した。おそらく、明治生まれで読谷出身の屋良は現在出回っているような「琉球は良かった」「大航海時代」などとという単純、理念的な歴史観の持ち主ではなかったというのも推測できる
そうした傑出した人物であり、アメリカと日本という大国を相手に、交渉で成果を上げながら、結局は身内(与党・野党・県民)に支えられず立場を失ったというのは残念としか言いようがない

石川さんいわく「屋良先生は最後まで復帰してよかったか?特に若い人たちがそう思っているかを最後まで心配しておられた」というが、今や沖縄が日本であることは当たり前で質問自体が若者を戸惑わせる。米軍政権下を知らないのだから、設問自体にムリがある
今問うべきは、屋良が求め続けた社会の健全性と教育・福祉の充実がさほど重視されていないことだろう。特に子どもそっちのけで相変わらず大人は政治に奔走という社会
草葉の陰からさぞかし嘆いていることだろう

それにしても「占領下」にあるというのは、つくづく社会を根底から変えてしまうと確認できる。27年とは社会の活躍ステージで言うと2世代。この先、数十年も影響は残り続けるだろう。それを知っていたからこそ、敗戦時の日本の支配層は沖縄を切ってでも主権の回復を急いだんだと思う

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Posted by 比嘉俊次 at 22:55│Comments(1)社会
この記事へのコメント
本日、第二次安倍内閣が4月28日を「主権回復の日」として政府主催の公式行事を開催することを決定

沖縄については「一定期間、日本の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはいけない」とフォロー・・・?
Posted by 比嘉俊次比嘉俊次 at 2013年03月12日 21:09
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