2011年05月25日

日本の10大新宗教

日本の10大新宗教  島田裕巳著
 『日本の10大新宗教』

 たまたま手に取った。緑の帯のような事は週刊誌などでよく目にすることだが、著者が著者だけに拾い読みをしてみた。帯のような内容ではなく、概略ではあるが勉強になる。最近は帯が踊りすぎて、内容のある本も軽薄に見えてソンをしている事が多いと思う。「こうしないと売れない」という編集者の声が聞こえてきそうだが、マスメディアの根本に潜む病理か

 天理教、大本、生長の家、天照大神宮教、立正佼成会、創価学会、世界救世教、PL教団、真如苑、GLAと、それから派生した教団について、成り立ちから教義、足跡、分派、現在と様々な角度から(少々雑多な感じがまた面白い)淡々と描かれている。決して「裏の歴史」的なあやしい本ではない。よほど関心がなければ、新興宗教(といっても、200年に迫ろうという歴史がある教団もある)については、このぐらい知っておけばいいという感じ

 新興宗教ではなく「新宗教」と言っているのは、「新興宗教」という言葉には否定的なイメージが固着しているため

 読んでいくと、宗教とか日本社会とか、いろいろ見えてくる。特に人を引き付ける技術については『TVは総理を殺したか』で見た政治共通する部分⇒「現世利益」と「共通の敵と味方」―が特に印象深い。あと教祖や団体の代表になるような人には、やっぱり特別な力があるんだな、と
その上で、今この世に世界的な大宗教の教祖たちがいたなら、同じようなカリスマを獲得できたのかを考えてみる・・・

 また社会の変化に新興宗教の勢力は大きく左右されるが、逆にキリスト教やイスラム教、仏教、ユダヤ教などが1000年を超えて大きな影響力を持ち続いている理由とか

 MEMO
 日本人は無宗教である―と大和人は自ら言ったりもするが、ウチナーンチュからみるとそうでもない

 他県に行ってびっくりするのが、宗教団体が建立したどでかい仏像(ウチナーンチュは大仏像は奈良や鎌倉にしかないと思っている)やモニュメントが所々にあるし、檀家制度があり、そこには宗派があり、ちゃんと作法が分かれている

 沖縄にも戦前から仏教はあるが、大和のように庶民の生活にまでは入りこんでいないし、今でも葬式は仏式だが、宗派や作法を気にする人はほとんどいないし、檀家という単語も知らない人が多い

 

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Posted by 比嘉俊次 at 14:50│Comments(2)社会
この記事へのコメント
福岡・篠栗町にも横たわっている大仏様がありますよ(…いらっしゃる?)
数年前、お寺さんの修復に携わったことがありますが、檀家さんに事前事後の説明をしなければならないと聞かされた時はド緊張でしたが、思いの外、和やかな感じだったし良くして頂きました。懐かしいです
お寺さん、お宮さんって沖縄ではなかなか口にすることは無いですね。

ほとんどの場合結婚式はチャペル、葬式は仏式…
無宗教ゆえに…?
Posted by ふくふく at 2011年05月25日 23:08
篠栗町にはお邪魔した事はありませんが、福岡には久留米にも大きな仏像がありますよね。それは見かけた事があります

日本は無宗教ではなく、多宗教なのかと思います(「宗教」の定義次第ですが)クリスマスでも一応はおごそかな気分になったりしませんか?

「八百万(やおよろず)の神」という言葉もありますが、柔軟性があり良い事ではないかと思います

人間の歴史的には一神教の方がかなり特殊ですし

あと宗教ではありませんが、ウチナーンチュから見ると大和人の「縁起担ぎ(茶柱から数字の並びまで)」の多さにはちょっと驚きます
Posted by 比嘉俊次比嘉俊次 at 2011年05月26日 14:42
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