2011年04月29日

テレビは総理を殺したか

テレビは総理を殺したか 文春新書794
 『テレビは総理を殺したか』

 日本テレビの元政治部記者・菊池正史著

 テレビと政治を評した著書や論評は多いが、多くはTVの仕組み(儲けの出し方・素材の選び方・編集の考え方等々)を知らない、的外れなものが多く、TV局の中にいる人間が描いたものは自己弁護になりがちだが、本書はなかなか正直に書いてあると思う。

 TV局にはTV局の理論があり、考え方がある。報道も当然にその影響を受ける。読めば視聴率に対する程度の差はあれ(今の所、沖縄の「現場」は視聴率に対して東京のようにシビアではない)、基本的な考え方というか理論は変わらないな、と感じる。

 タイトルと帯を見ると「売らんかな」という「軽い本」という感じがするが、著者の取材体験―現場の動きと、それがどう選択され、ONAIRされ、さらにその後それでどうなったのか―内省と疑問、飾らない率直な意見を交えながら綴られている
(TV記者が書いた本でGRPの解説まで及んだのは初めてではないか?)

 基本はメディア論であるが、取材の裏話、記者も人間であるゆえにどうしても逃れられない「取材対象者の好き嫌い」なども満遍なくちりばめられて、読み物としても飽きない

 沖縄に日本テレビ系列局がないため、日テレの報道番組を見る機会は少ないが、こうした本を現役社員(現在は編成局勤務との事)が出せる局なんだな(というのも、TV業界で聞く、日テレの社風とは違う感じがする)

 それにしても、分かりやすい構図(その究極は「敵か味方か」)を作り出し、人間の中に潜む闘争心や自己主張・自己実現欲とシンクロさせて多くの人心をつかむ・・・洋の東西、主義主張を問わず、太古の昔から度々出現するこのリーダー像は、今後「理想を目指そうというタイプ」や「中庸の実をとるタイプ」のリーダーより出現頻度が圧倒的に上がっていくのではないか。匿名の揚げ足取りがTVニュースでも堂々と出てくるようになっては(堂々と持論を述べるのが仕事であるはずの政治のプロが「政党幹部A」などと憶測・主観的分析までも含めて言いたい放題のヒソヒソ話・コソコソ話が電波に乗って国民の世論形成に影響を与えてしまっている)、これでは敵を撃滅するような勢いが無ければリーダーとして生き残れまい

政治はまつりごと。さしづめTV報道はお祭りなのか

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Posted by 比嘉俊次 at 00:47│Comments(4)社会
この記事へのコメント
2011年6月2日

震災から3カ月もたたず、仮設住宅住まいの方も多く、原発も予断を許さない中、前日に野党三党が不信任案を提出

東北の方たちは沖縄県民が度々味わう虚無感を味わったことだろう
「現地に行って感じたのは…」
「今、現地の方たちは大変な苦労を…」
いろいろ言っても結局は政争の具にしているだけ

今の政権の対応がいいとは言わないが、だからこそ行動して見せる事が求められているのに…

しかし非常時にトップ交代って大胆なのか、覚悟が足りないのか…
Posted by 比嘉俊次 at 2011年06月03日 00:15
6月3日

昨日の不信任案をめぐる動きを「茶番」と断じていた東京発のTVはいまだ「その裏側」などと特集を組み、自ら茶番に付き合っている。「被災者は怒っている」などと自ら報じながら…

国会では今度は「いつ辞めるのか」という話に

テレビが総理を○す(←入力禁止ワードで伏字)前に、こんな政治とこんな形で付き合っていてはテレビが殺されてしまう(心中?)。と、筆者が言いたかった(でも言えないわな)事に今気付いた

しかし民放の朝ワイドが不信任案をどうこう言っているときに、NHKの朝ワイドではダウンタウン松本人志をスタジオに入れてインタビュー。テレビでは初めて見る一面(笑いの本質を突き詰める姿勢等)で興味深く、初めてNHKの朝ワイドにチャンネルを合わせた

このタイミングで。この企画。これだからNHKはあなどれない
Posted by 比嘉俊次比嘉俊次 at 2011年06月03日 17:43
報道によると
鳩山由紀夫さんが「管おろし」に熱心なようだ

私は一度、番組でご一緒させて頂いたことがあり、見た目通りのほのぼの、オープンな人かと思ったら、本書が指摘するように「さにあらず。権謀術数渦巻く人物」というような人物評の方が正確なようだ
Posted by 比嘉俊次比嘉俊次 at 2011年08月03日 15:42
昨日、正式に退陣表明をした菅総理が福島県知事に対して「福島県内で生じた汚染物質を適切に管理・保管するための中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるをえない。この施設を最終処分場にすることは、全く考えていない」と

「福島で生じた汚染物質は・・・」とは「ものは言いよう」の典型。誰が、何のために、どうして、という因果をすっ飛ばして外形的な事実だけで押し切るつもり。

すでに辞任を表明した菅総理が「最終処分場にするつもりはない」とおっしゃっているが、数十年後には「努力しているが、他に受け入れる場所がない」と聞き覚えがあるセリフを福島の方々も聞かされることになりはしないか
Posted by 比嘉俊次 at 2011年08月27日 22:21
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