日本語の特質

比嘉俊次

2017年02月07日 13:01

日本語の特質金田一晴彦

平成3年(91年)発行の第一刷
四半世紀前の本
タイトルの「日本語の特質」に関しては、その後さらに研究が進んでいるので驚くような部分はないが、用法や言葉遣いには変化を感じさせる部分も

「男の子が三人、女の子が二人道端で遊んでいましたが・・・」
「三人の男の子と二人の女の子が道端で遊んでいましたが・・・」
著者は上段が日本語本来の語順であり、下段については「最近よく聞く」と言っているが、今の私からすれば上段は落語の世界のしゃべり方でしかない

「息子が一人」=何人かいる息子のうちの一人
「一人の息子」=はめから一人しかないない息子
というに至っては完全に逆に思える

番地や名前はくくりの大きな方から述べてゆき日本語は合理的、と言っているのは同感
一方で「東京ホテル」「〇〇果実店」などは逆になっている
が、これも25年前の時点で「ホテル東京」なんて言い方が出てきて、「果実店〇〇」と語順がなれば電話帳を引くのに便利になり職業別電話帳(タウンページ?)も不要になるかもなんて述べているが、結局これは定着しなかったとみていい
今やスマホで探す時代。ビックデータの場合は名詞の語順は小さいほうを先にしたほうがヒットするのが早い場合が多い
明治時代の少額算術所には「巻一(Roll-1)」とあるそうで、古くからこの語順の響きを好む人はいる

また00年代初期は欧米語流用(カタカナ多用)者が現れ(流行り)、批判的に言われ影を潜めているが、最近は欧米語を直訳体で話すことに世間が慣れきってしまっている。しかも、そういう場合は漢字になる
アメリカは今や「米国」だ。アメリカ軍は「米軍」を話言葉のスタンダードにしている人が多い。特に「事情通な人」
「それは略語が話しやすいから」という人がいるが、「べいこく」も「あめりか」も4音節で、しかも「あめりか」の方が濁音がなく音もいい
それでも「略語」というなら「べいぐん」ではなく「あめぐん」だろう。漢字(というより外来語)の持つ力に影響されるのは日本語話者だけの特徴か?外来の言葉や文字を知っていると、まさに「一目置かれる」

とにかく「対外膨張」なんて屋上屋の造語?が放送にも乗っかってくる時代。そもそも漢字表記の言葉の殆どは輸入語だが、いくらなんでも吟味が足りない
とにかく「一般とは何か違った言葉・表現を使いたい」という考えが奥深くにある。総理を「さん」呼ばわりと同様の距離感のなさは沖縄の言葉まで共通する「日本語」の謙虚・謙譲の精神と相容れないと思うし、そこに Big Brotherがつけ込む余地が出てきてしまう

また最後に「日本語と勘」と題して、外国人は「先生、それは先週私たちに教えましたから、私たちはそれを知っています」という言葉に文法的には完璧だが日本人ならそう言わず「先週教わりました」「先週教えていただきました」と言うとある。外国人の言い方だと「だから教わらなくてもいい」と続きそうだと。確かに
「私は知らない(I don't Know)」とは言わず「私知らないです」という感じのいい方になる。これは「だから教えてもらわなくてもいい」「だから教えてください」が省略されている外国人には分かかりにくい、日本語らしい表現としている

沖縄の「だからよ」に代表されるように、言葉に厳密さが欠けているといえばそうだが、「教室には”私以外”誰もいなかった」とはこの先の日本人も言わないだろう

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