数学は最善世界の夢を見るか?

比嘉俊次

2011年07月31日 19:30

 『数学は最善世界の夢を見るか?』
 
 イーヴァル・エクランド  みすず書房

 
ヨーロッパの学者が求めつづけた宇宙(この世)を統一する理論(=神の意思)を求める歴史の物語。読み返しと検索の連続で、一通り理解するのに1ヶ月かかった。
ガリレオ、フェルマー、デカルト、ニュートン、ポアンカレなど大物スターの名前は当然出てくるが、前半の主役は「モーペルテュイ」というフランス人。初めて知った名前だが、その思想だけでなく社交界での振る舞いなど、なるほど話の起点に相応しい。

先日、フランク・ミュラーが日本のテレビで紹介されていたのを思い出した。彼が時計学校を主席で卒業したことや、時計の技術的特長について紹介していたが、印象に残るのは彼のオシャレさと時間に対する深い洞察。時間を正確に刻むという時計の役割はすでに究極のレベルに達したが、時計「文化」の中心はまだしばらくヨーロッパだなと感じた。
そして科学・数学の中心はこの先もヨーロッパであり続けるかもしれない(ノイマンはハンガリー生まれ、ハゼンベルグはドイツ出身)。
フランスなんて原子力技術以外では特に「進んでいる」というイメージは正直なかったけど、数学・科学の歴史の深さ(深み、といったほうが適切か)の違いにため息が出る。根っこが違う。ディドロも数学の本に顔を出すなんて・・・。

モーペルテュイ、そして「神はサイコロを振らない」といったアインシュタインの夢、希望が不確定性原理によって崩れ、科学が「隠された神の意思を探す」という西洋科学の哲学的柱が失われた所を確認して後半がスタートするが、そこからは趣旨が変わり(というかようやく本題)社会科学の本になっている。
ここでも様々な政体を「考案」し「獲得」「実践」してきたヨーロッパの深みが・・・ヨーロッパ人というのはギリシャの哲学・科学という強固な基礎の上に、ローマ帝国とキリスト教が乗り、そこで生じる矛盾を無理やりにでも「理論的な決着」をつけてきただけのことはある。
フランス人の書いた科学書はおそらくはじめて読んだと思うが、ロブスターが貝を食べるのか、貝がロブスターを食べるのかと言う分かり易い、いらぬ批判的な感情を呼び起こさない配慮された(まったく逆に皮肉たっぷりも欧州人の得意技だが)例をあげているあたりが・・・やっぱり深みがある。

しかし科学史を振り返るたびに思うが、歴史を刻んだ科学者達ですら後世、理論的に否定されなかった科学者はほとんどいない。アインシュタインやニュートンですら完璧ではない。彼らは大きな柱を作り、人類史を確実に前に進めたが根本部分に勘違いや間違いがある。それでも結果的に現実世界と整合性があり、その範囲で科学は確実に前進している。不思議だ。
本書(44p)では「(現実と理論)二つの世界の間には深い溝が横たわっているはずだ。それなのに両者がつながっているとはどうしたことか。どうして単なる計算や論理的な議論が。銀河や原子の軌道を制限できるのだろう。逆に、どうして純粋に物質的な世界に意識や知性のようなものが出現できたのだろう」と問うているが、「積み上げられた」と思われている人類の知識は実は「広がっている」のであって、所々穴が開いているのかも。そこにダークマターも見えないでいるかもしれない。
と、思うと同時にこれだけ様々な理論や思考が否定されながらも古代ギリシャの数学の力強さは異常といえる。・・・いや、これを中心に据えているから見えていない部分があるのか?

 
科学書、特に数学関係の本は高い。この本も本文289ページに付録(というか数学の補遺)もついているが3600円は・・・。あまり売れないからこの値段をつけないと償却できないというのはわかるけど、ただでさえ本にお金を出せる人が減っていっているし、最近の図書館は雑誌やDVDに予算を割かれて本といえば賞味期限付の新書(しかも現世利栄追求型の)ばかりで、こうした本を置かないし(リクエストしないよな。繰り返し読むには買うしかないし)。どうにかならないか。
これでもおそらく古本屋にもっていけば500円もしないだろう。読みたくなったときに買い戻そうとしても古本屋で探すのは難儀しそうだし、廃刊になっているのは間違いない。置いておくにはアパートが狭いし・・・
 
関連記事