2014年08月23日 23:54
水野和夫 集英社新書
歴史的な、そして世界的(といっても経済先進国に限って)な低金利をして、資本主義の終焉が近いと警鐘を鳴らし、ソフトランディングを模索すべきと
またローバート・B・ライシュらが主張するように「中間層の没落」を憂慮している
筆者は資本主義は「周辺」から資源などを蒐集し「中心」に寄せることだと喝破している。周辺とは先進地であった地中海から、やがて新大陸へと広がり、そして電子空間へと拡大していったが、すでに飽和状態であり、投資をしてもリターンが得られないために利子率は低下しているし、今また国内に「周辺」を作り出しているために所得の2極化が始まっているのだと
興味深いのは、キリスト教でも金利の受け取りが禁止されていたということ。特に中世キリスト教では高利(ウスラ・ウスラエ)が禁じられていたものの1215年のラテラノ公会議で33%の金利を認めたそうだ。グレーゾーン並の立派な金利だ
また、資本主義も重商主義、自由貿易、植民地主義、グローバリゼーションと時代によって中身が異なるが、西欧の歴史において「蒐集」こそ最も重要な概念としているのは括目に値する。なるほど、そうしてみるとインターネットと英語の世界化、そして無料のストレージサービス、SNSなどは情報のみならず記憶や人と人の絆まで収集できる究極のシステムと言える。そして、言うまでもなく蒐集と資本主義はセットだ。そして資本主義には過剰であることが必要だ
さて、周辺がなくなると「安く仕入れて高く売る」という資本主義の大前提が崩れてしまう。あとは周期的にバブルを生成し崩壊させるだけしかなくなってしまう。つまり資本主義の終焉は近いと筆者は言う。また、いち早く資本主義が成熟した日本はそれゆえに低金利時代にいち早く突入したが、「次」へのパスポートを持っているはずだともいう
資本主義は国家を利用し、国家も資本主義を利用してきたが、資本が国境を超えるようになると国家は足かせになる。にも関わらず、バブルが崩壊すると国家は後始末をさせられ、資産価値の上昇で大きな利益を得る個人がいる一方で、処理は税金でという国家が資本に使える状態であり、中間層を没落させている現状と合わせて、「民主主義を腐敗させる」と筆者はみている
「周辺」なき今、成長主義から脱し、新たな道を模索すべき・・・とあるが、具体的な方策は筆者も分からないと告白している
確かに、デフレで実質金利はゼロではないと主張したところで、大きなリターンが望める投資先が減っているのは確かだろう。筆者の主張には納得・同意できる点が多い。スノーデンの告発をプロテスタント運動に例えているのは一瞬違和感覚えるが、歴史的な視点から見るとそうなのかもしれない。歴史を見ていると先見のなさを感じずにはいられないが、これは後付けの理論で「現在」を歴史的な視点でとらえることができるのは一部の人間だけなんだろう
だから、残念ながら「脱成長」なんて、自分には思想として共感できても、なんだか恐ろしくて同意できない。これを近代を駆け上がってきた日本で一流の学者が主張し、模索するのは一層勇気がいるだろう
アメリカが月に人間を送ってから45年。投資対象となるような新しいフロンティアは残念ながら生まれていない。だが、アメリカは以降も宇宙へのアプローチで一貫して独走と言ってもいい状態を続けている。この姿勢の差もやはり社会に内蔵された思想の違いか。そうすると、次の周辺を探し出し、新たな繁栄を手にするのもやはりアメリカということになるはずだが、周辺を内蔵する体制はいつまでも続くのか
しかし、脱成長を言い出す人が人が増えているが、デフレが実は「神の手」であり、退治ではなく行き過ぎを調整することこそが資本主義としてあるべき姿と考える経済学者はいないのだろうか