モンゴルVS西欧VSイスラム

比嘉俊次

2013年03月08日 22:15


モンゴルVS西欧VSイスラム
 伊東敏樹
講談社選書メチエ298


久々に世界が変わる本を読んだ
1220年のジンギス汗によるレレズマ征服から始まるモンゴル帝国の西進に始まり、マムルークによる中東のキリスト教徒最後の砦・アクレ殲滅戦までのモンゴル・イスラム・キリスト教圏の戦いと交渉の歴史・・・まさに殺戮と外交の時代
副題にもあるように、まさに「13世紀の世界大戦」

「殺戮」の方はまさに殲滅戦。攻め押し一辺倒と思っていたモンゴル軍が知略にも長けていた(当たり前と言えば当たり前だが)事は意外。筆者は言及していないが、戦術・外交の巧みさはやはり中国から吸収したものか?それに比べてフランス軍の兵站のマズさ・・・

それよりも本書が多く紙幅を割いているのが「外交」の方
モンゴルは金帳汗とイル汗、西欧は教皇・フランスとローマ帝国、そしてイスラムもバイバルスによるマムルークとアイユーブなど、互いに内部対立を抱えながらの三つ巴。戦力と財力が宗教、人種、血筋によって絡められ、さらにその間で存続を図ろうとするビザンツ帝国、財を求めてすべてを超えて動くイタリアの都市国家・・・あまりに大きく複雑、根が深く混濁したぶつかり合い。でも読んでいて目が回ることはない。「三つ巴」のパワーバランスにはっきりと重きを置いて書き進めているし、注釈もストーリーを折らない入れ方でストレスにならない
しかし、それぞれの勢力の動きは一見理解しがたいように見える部分があるが、明治以降の日本の振る舞いを振り返ると、外交上、文化の共有度合よりも優先される事はあると納得。これが世界史だな。そして明治の指導者たちはこれをよく研究し吸収したのではないかと推測。相手に対抗する一番の手段はまずは「団結」であるという事実など・・・そして、そのいずれも孫子にあるというのがまたスゴイというか・・・

中東と欧米に関するニュースの見え方が違ってくる。逆に欧米が中国を見る目も、日本とは違うだろう。おそらく第二次世界大戦時の日本もモンゴル帝国のイメージとかぶっていたかもしれない

その一方で、日本は東の端に居ながら西欧的な視点になっていることに気が付く。サラディン、リチャード1世の修辞など、無意識に視点を作られている。言葉の力は大きい

諸々、防衛講演会での教授が話した「日本の世界からの見え方」を思い出す

日本は中国以西の世界史を「西洋」から丸ごと輸入した感があるが、例えば中国や中東ではこの辺りどう教えているのか?中東でもイランとエジプトでは違いがありそう。そして中国は「元」という時代をどう教えているのか?

関連記事