ブランドの条件

比嘉俊次

2013年01月05日 18:39

ブランドの条件
山田登世子

「ブランド」を解読するビジネス書はいくつもあるが、一段読み応えがある。まず女性の視点が入り、なおかつ筆者自身がブランドに日常的に興味がある。さらに社会学的な見地から書かれていてブランドの肌触りから歴史まで言及されている

まず、ルイ・ヴィトン(伝統とモードの融合)、エルメス(超然とした立ち位置)、シャネル(マスマーケットを背景とした伝説の成立)という同じフランス発のブランドながらスタンスの異なるブランドから考察している

フランスのブランドの潮流は2人に生み出されたといっていい
まず皇帝・ナポレオン三世。ラグジュアリーを国策とし、クチュリエを繁盛させた華美な宮廷、そして万国博覧会を通した品質向上(金銀胴のメダルを授与する方式はオリンピックより先に、ここでナポレオン三世が発案)。
つまり皇室御用達、万博での受賞が「世界の一流品」の証となり、ヴィトンやエルメス、クリストフル、バカラ、ゲラン、宝飾のブシュロン、カルチェもそれが根拠となっている

そして何度も万博を開催することで「フランスは自国ブランドのオーラを利用し、その威信を誇示した」「ナポレオン三世は象徴在というものの力をよくわきまえていた」「彼自身肯定にまで上り詰めたのは、ひとえに伯父であるナポレオン一世の名の威光のおかげと言っても過言ではない」と。こうしてフランス、特にパリ自体がナポレオン三世下の改造計画とあいまって「花の都」としての地位を確立した
これらの過程はライバル・イタリアにはない。これをフランスブランドは意図的に強調するわけだ

しかし、なお第二帝政期においてクチュリエたちは貴族の下で働く職人でしかなかったが、フレデレック・ワース(ウォルト)が「モデル生産」を始め、これによって「デザイン料」ビジネスがスタート、それを表す「グリッフ(ブランドの商標)」を発明した
続くポール・ポワレはアメリカ市場を見て香水などを含めた「トータル。ファッション」をてがけた
さらにブーシコーが1852年、初の本格デパート・ボンマルシェを開業。「定価販売」と「出入り自由」という原則が確立し「衝動買い」という形態が生まれた、と

そうしたフランスの商流を20世紀の大衆社会に橋を渡したのはココ(ガブリエル)・シャネル
シャネルは皇室の権威を必要としなかった。それどころか「本物志向」の先輩ブランドの逆をいった。サロンよりストリートを重視し、自らのブランド(名)がストリートで愛されるのを喜んだ。先輩ブランドが忌々しく思い排斥に熱を上げたコピー商品を容認し、「いったん見出されてしまえば創造なんて無名の中に消えてゆくものよ」と言い放った、それは「シャネルはどのブランドよりも先に有名性(セレブリティ)の威力を知っていた」からだ
さらに「自身の伝説は永遠に。しかし商品は現在のものを―この意味でシャネルブランドは二重底」と筆者は分析し、それを極めるものとしてイミテーション・ジュエリーをあげている。いわく「シャネルが登場するまで、世の中にはいわゆるアクセサリーというものが存在しなかった。存在したのは貴金属。つまり本物の宝石だけだった」と。シャネルは「首の回りに小切手をぶら下げるなんて、シックじゃないわ」と言ったが、彼女のブランドのアクセサリーはとんでもなく高価だった。「なぜなら、その偽者は本物のシャネルだからである」と筆者
これは従来の「本物」に拠っていたブランドを旧式化するものでマン・レイ撮影の有名な肖像が「皆殺しの天使」でもシャネルが身につけているアクセサリーは「本物」と「偽物」が故意に混ぜられているとか

マスに浸透し、マスに愛された彼女のブランドは力を持ち、そればかりかそしてついに-ルイ14世に倣ったのか-「モード、それは私」と言い放つに至る
シャネルの革命はもちろん商法だけではない。コルセットからの開放、「成熟よりも若さ」への価値転換など多岐にわたるが、それでいて「モードの革命を起こす気なんて全然無かった」というから時代の寵児というか天衣無縫というか、それとも出自に対する挑戦か

しかし、ブランドの必要条件はわかっても、十分条件を見つけるのは難しい
「職人的少量生産は大量生産のマーケットがあってはじめて価値を持つ」確かにそうだと思うが、その境目は?BMWやロレックスは少量生産といえるのか?
「貴族にとってブランドは存在しない」というのは今もって事実なのか?
「アメリカ人のブランド好きは日本人に劣らない。ブランドの文化史は時に下手な国民性の分析よりも多くのものを私達に教えてくれる」これも的射ている。日本人が愛するブランドはまず上等であること。アメリカ人は何と言ってもセレブリティ。欧州では機能が重視されているといえるかな
「偽者は本物を愚弄しつつ、本物を価値化する。本物しか存在しないというのは、いわば鏡を持たない美女に等しい」とはわかりやすい例えだが、ゆがみのある鏡に取り付かれる者もいる。ブランドが正しい鏡を手に入れるは簡単ではないようだ

結局、フランスのブランドが世界に発信するには強固な土台がある。「名」の力を熟知し産業振興に熱心だったナポレオン三世、顧客名簿と立地の重要性を認識していたルイ・ヴィトン(最初の店舗を目抜き通りのヌーヴ=デ=キャプシーヌに構えている)、そして馬具商の未来を見切ったエルメスの三代目エミール、あらゆる変革を起こしつつもシャネルは品質の追求は捨てなかった。そしてLVMHのモード、ポップカルチャーとの融合
こうしてフランスはデモクラシーの祖国、かつブランドの宗主国となった。つまり二重底なのはシャネルだけではなく、フランスのブランドそのものといえないか

また「かつて贅沢は男のものであった」と言っているが、そうなると車の世界はまさに男の贅沢でブランドビジネスが横行している世界だけに注目だ。
メルセデスはマイバッハをあきらめるようだし、名門中の名門、アルファ・ロメオはフィアットの一ブランドに。ロールス・ロイスに至ってはメーカーとしては消滅し、バッジが転売された。VWが保護するブガッティには伝説が足りない。日本車には大いにチャンスがあるが御料車と自社ブランド、高級ラインとバラバラで日本人でも車好き以外説明できない状況
唯一「ブランドビジネス」が成り立っているのはフェラーリぐらいか。バーニーですら特権を認めている

貴族に起源を持つブランドが生まれにくい世界状況になった今、ブランドはどうやって生まれ育ってゆくか
日本にはあらゆる点から可能性があるが、コルベール委員会すらない状況

時価総額と収益の比率から見て、今日、世界一のブランドはアップルコンピュータか?GUIなどの操作・タッチに関する品質、スティーブ・ジョブスという伝説、ミニマルなデザインというわかりやすいモード感と3拍子そろっているが、実は一番のポイントはあのアップルと言うブランドとロゴ、これを買ったことではないか。「マッキントッシュ」じゃ、マニア感が残るし(しかし今では「Mac」という愛称の由来を知らないアップルファンは多く、むしろ好んで「マック」と口にする傾向がある。この辺りがマスブランドとマーケティング・広告の連携が密な部分)、シャネルだってガブリエルじゃ・・・

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