東京奇譚集
東京奇譚集
村上春樹 新潮社
これってたまたま、しかもあまり好きでもない著者の本だけど、一番の傑作なんじゃないか?ファンの多い村上春樹なのに一般に名前が知られていない一冊だけど
内容はタイトルの通り奇妙な物語を集めた短編集
最初、カラマーゾフのドストエフスキーのように、根が真面目な人が努めて軽々しく振舞おうとするように筆者が顔を出す
そして最初の短編「偶然の旅人」。内容的には筆者があらかじめ断っているように「負ーん」とか「それで?」と言いたくなる「偶然といえば偶然」という内容だけど、巧みな緩急と車のデザインで言う「スリーク」な感じが心地いい
で、2本目の「ハナレイ・ベイ」。ここからのストーリーは「奇妙な物語」や星新一の世界だが、スリークさに妙な空間が加わり、読んでいて少し妙な気分になる。
脳震盪を起こして病院に運ばれたとき、自分は大丈夫といっているのに周囲に伝わらずにまんじりとしたあの感覚が蘇る
3本目の「どこであれそれが見つかりそうな場所で」。マンション内で失踪したはずの夫が数日たってひょっこり現れるという、現象だけを取り出せば全く平和といえば平和なストーリー。もちろん不思議要素も入っているが、正直、緊張感も無ければ感じるポイントもわからない。
でも、全部読み終わって気づくが、冒頭でひょっこり顔を出して、なんとなく(今思えばこれも作戦だ)最初のストーリー「偶然の旅人」に入って行き、この3本目で異次元への扉が何気なく、だけど完全に開けられている
そして4本目の「日々移動する腎臓の形をした石」ではスリークさに「えっ!?それでくるの?」と思わせるようなギミックが入る。でももちろんそれは単なるギミックじゃない。必要以上に読者の目を引くように見えて、実は全体と調和し全体を引き立てる。ミウラのトカゲルーバーのようなもの。無いと成り立たない。
劇中劇というか、夢の中の夢というか、主人公である作者の中の石が意思を持ち読者を揺さぶりかけてくる・・・かのような奇妙な感覚にとらわれる
そして最後の「品川猿」だ。猿がしゃべる。それだけじゃなくて人の名前を盗む。荒唐無稽としかいえないが、ここまで読んでくると多くの読者は何も驚かないと思う。逆に猿じゃなくて人間だったらもっとヘンだろう。嫉妬の意味とか、松中優子はなぜ自殺したのか、そしてなぜ「名前」なのか・・・読者は取り残されたまま潮が引くようにストーリーは消えてしまう。
終わるとか、止まるじゃない。道路や路線が突然砂に埋もれたようにストーリーは消えていく。ここまでつれてこられた読者が呆然と立ち尽くす姿を最初に出てきた妙に調子の軽い筆者はどこからかほくそ笑んでみているのか、それとも後は知らないと思っているのか・・・
とにかく著者の筆力というか、5本束ねて世界を構築する力に脱帽。これが村上ワールドというものなのか?
率直に言って
村上春樹は自分の中ではパステルカラーのような言葉を使うオシャレな、だけど妥協の無い作家というイメージ
レイモンド・カーヴァーの「a small a good ting」を「ささやかだけれど役に立つこと」と翻訳したのは素晴らしいが、ギャツビーは華麗じゃなきゃいけないし(実際に読むとギャツビーは華麗というのも偉大と訳するのもちょっと違うとわかるが)、ライ麦畑で捕まえてもそうだ。多分、野崎訳とか先に呼んだ印象の書き換えを迫られているのが嫌なんだと思うけど
でもそれだけじゃない。まず「ルイ・ヴィトンの~」「ホンダの~」という固有名詞が出るのはやっぱり好みじゃない。筆者のコントロールできない余計な連想を生むのをわかっていてやめないのはなぜだ?
それと「セックスした」という、ここだけ妙に乾いた、素っ気無いというか・・・高校生ぐらいならオシャレに感じるかもしれないが、まるでハイフンか何かの記号のように使っているのがどうも・・・
そんなこんなで「ノルウェイの森」は100ページも読めなかったし、評価の高かった「海辺のカフカ」はとにかく全部読んでみて、「確かに面白いような気がしたけど・・・どうかな?」という感じだった。つまり村上ワールドには入れなかった。だから1Q48は手にもとっていない
だけど、この本を手にとったのは①長いスパンの仕事をしているので、頭を切り替える程度の短編小説を読みたかった ②ノーベル賞を今年こそ、と盛んに報道されていたので、なんとなく「乗り遅れたくなかった」 というだけで、結局、買っておいたものの読み始めたのはノーベル賞は中国の作家がとることが決まった後だった
短編だから「村上ワールド」に入りやすかったのか?1Q48も入り込めるのか・・・やっぱり自分にはその資格が無いような気もする
調べるとカポーティの訳本がある。シンクロ率高そうだな。それ読んでみたいけど、まず翻訳した本がいくつか古本屋に行かずに残っているから、そこから読み返そう
関連記事