ティファニーで朝食を
恥ずかしながら「村上春樹」という人は
翻訳家だと思っていた
グレート・ギャツビーや
キャッチャー・イン・ザ・ライ
などの翻訳でおなじみの名前で
「時々自分の小説も書く」のだと
ノルウェーの森が売れる前、
高校生の頃は思っていて
野崎孝と思いっきりかぶっていた
で、08年に村上春樹の
新訳で新潮社から刊行されたのが本書
村上ブランドにひかれて久々に読むことに
村上訳は、タイトルは英語原文が多いけど、これは『ティファニーで朝食を』
タイトル作品以外に、短編が3本納められている
訳者はヘップバーンの映画は映画で良しとしながらも、もっといい配役があったのではないか、と
あとがきで問いかけているが、これには同意する人も多いと思う。
だけど、昔読んだ瀧口訳より村上訳の方がヘップバーン、というより映画のイメージに近くないか?
文体がオシャレだからなんだろうな。映画の洗練された雰囲気が出ている
長くもないし、ストーリーに冗長な回り道もなく、全てのパートが無駄なく呼応していて
読後感も長く続くし・・・(←私の良い小説の基準)
小説と映画では狙っているテーマも違うし、もちろん表現も違うけど
どちらもよくできていて、感心するしかない
映画と言えば、
「この「ティファニー~」が1958年で、映画「イージーライダー」が69年。11年も開いているのに」
というのと
「小説の世界とはいえ、第二次世界大戦中にこんな設定が出来るなんて」
という2点から、「国の大きさが違うな」という直接関係ないことも感じた
短編3つは読んでいて引き込まれるけど、「えっ、これで終わり?」というのが正直な感想
しかし、「ホリー」は身体的特徴をある程度考えても
グイネス・パルトロウみたいに整った顔立ちではないし
サンドラ・ブロックじゃフツー感が強すぎるし
アンジェリーナ・ジョリーではワイルドすぎる
ジュリア・ロバーツでも・・・ないよなぁ
あの時代、ヘップバーンという選択は商業的な狙いを差し引いても、ベストなんじゃないかな
「キャサリン」の方のヘップバーンじゃ年齢があわないし
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