出雲と大和

比嘉俊次

2015年04月04日 23:53

出雲と大和
―古代国家の原像を訪ねて
村井康彦 岩波新書

卑弥呼・出雲・大和という古代史というか、現在に至るまで今一つスッキリと理解できない関係を思い切った推論で解説

しかし、出雲から畿内まで広く勢力を張っていた出雲系(邪馬台国系の連合国家)の政権に、後に大和政権を確立する勢力が挑戦し、幾たびかの戦いはあったものの、決戦を避け、出雲勢力が帰順(妥協?)することで「国譲り」が成立。2つの信仰系統(出雲と伊勢、盤座祭祀と鏡祭祀)が併存する形となった・・・

というのが大筋。筆者がたびたび漏らすように、今日の学説の主流から少し外れているようだし、史料が足りず「想像の翼を広げた」推論も各所にあるが、まるで空論というわけでもなく、「出雲系と大和系が婚姻関係で結ばれていったのは仲がいいからではなく、政権基盤安定のため」「倭姫命の巡行は各地の豪族の帰順を促すため」などのそれなりに納得のいく解釈だと思う

伊勢と出雲の格式。「八百万の神」で片づけられがちだが、盤座や神木などの自然信仰と人工物である鏡の神格化など、今一つ「筋目の違い」を感じさせる部分が多かった古代史に筋を通そうという試みで注目されても良いはずなのに・・・古代史研究は際立つ成果がない。古事記と日本書紀のズレも一般には話題にすらならないし

日本で古代と言っても、世界的には中国は長かった漢が終わり、ローマも五賢帝の時代が過ぎて分裂前夜という文明の先進地では歴史資料が豊富にある時代だ。中国辺りから文字資料が出てくるのを待つしかないのか?

2013年1月初版で、この個体は2014年6月で10版。結構、感心持つ人も多いと思うのだが・・・